2月の個展に先駆けて、Ryotaxfilm.comでは浦崎良太のインタビュー記録を公開します。本日は第1回です。 聞き手、構成は作家の山田勇人です。 ・写真のきっかけについて 1994年4月1日の夜。23歳の頃、同級生の友人らとドライブ中に交通事故に遭う。 助手席に座っていた自分自身や後部座席に座っていた友人は一命をとりとめるも、運転していた友人は亡くなってしまった。 彼は鉄道写真が好きで、学生時代から事故の日のように一緒にあちこち旅をしていたが、自分自身はと言うと、一度も写真を撮ったことはなかった。 事故による骨折で1ヶ月の入院期間中、新聞をぼうっとながめていたところ、1台のカメラ、Canon EOS100の広告が目に止まった。 退院後すぐ、現金を握りしめて梅田にあった電気量販店へカメラを買い求めた。 Canon EOS100とシグマのダブルズームセットレンズ、三脚。 友人はEOS1000を使っていたので同じものではないが、いつも横で見ていて、写真を撮るのにどんなものが必要かはわかっていた。 すぐに仕事復帰もできない状態だったのもあり、写真好きの友人を偲ぶ気持ちで写真を撮り始めた。 しかし、何を撮っていいかわからなかった。 思い出したのは友人とよく訪れた川代渓谷だった。 JR福知山線の電車に乗り、ひとり向かった。 その時の写真はまだ家にあると思う。今でも彼と訪れた場所で写真を撮る。 命あるうちはなんでもしないといけないと思った。 友達のことは毎晩思い出す。 のちに、花や犬を撮るようになる。徐々に周りから評価をもらうようになり、各地の市展に出展するものきなみ落選する。 子供の頃から絵を描くこと好きだったけれど、中学校の美術の授業では技法を覚えたり、画家の名前を覚えさせられる。すっかり嫌になってしまった。 それが23歳で写真と出会うことで「好き」の気持ちが蘇ったのだと思う。 構図を決めたり、配色を考えるのがめちゃくちゃ楽しく、撮影して帰ってきたら、フィルムを地元の三木市吉川町にあった大杉写真館に現像に出して約1週間わくわくして待っていた。 段々とのめり込んでいって、真剣に写真の勉強を独学ではじめる。 ・なぜ写真を撮るのか 事故の後、いつ死んでも後悔のないように、やれることをやろうと。命をかけれるようなものを求めているのだと思う。作品が全部残っていくことは生きた証となると思う。